「我がボディビルの世界に・・・入門してくるとは・・・!!」
どうも
IVTT代表の大池です。
「IVTTの奇妙な成り立ち〜第三部:スターダラケ・ボディビルダーズ〜」
をお送りするぜッ!
前回第二部は「靭帯断裂がボディビルを始めるきっかけ」という激闘の記録でした。
前回はこちら
第三部は本格的にトレーニングを始めることになって起こった出来事達です。
『行くぞ!(バーン)』
目次 1.初めてのボディビル大会 |
初めてのボディビル大会
初のボディビル大会への挑戦を決め、3ヶ月の減量生活に入った。
特筆しとかなくてはいけないのは、通っていたジムに恩師・林久司先生がポージング教室の為に毎週来ていたことだ。
そして当時林先生に師事していた日本トップクラスのビルダー、清水さんと久野さんも毎週来ていた。
既に日本のボディビルオタクになっていた俺。
まさかのトップビルダー達が「一緒にトレーニングするぞ!」と誘ってくださった。
ポージングの基礎、身体の使い方、ポージングの為の動かし方、コンディショニング、自分で出来る身体の調整方法等の約1時間の講義の後、ジムに行き合同トレーニングに入る。
雑誌で見てた選手が直接トレーニングを教えてくれながら一緒にやるのだ。
初心者としてこれほど果報な事も無いだろう。
そして見様見真似であっという間に3ヶ月は過ぎていった。
トップビルダーとのトレーニング
トップビルダーとのトレーニングはどうなの?と思われるだろう。
男性のトップ選手の気迫はまさに鬼だ。
容易に近づけない雰囲気がある。
久野さんも清水さんももちろんそうである。
また、林先生も二人には厳しい為、ハードなのは間違いない。
でも、林先生は大池にはかなり甘かった笑
(おおちゃん(と呼ばれていた)出来てるからいい〜とよく言ってもらった笑)。
覚えてる限りで一番キツイトレーニングは林先生に見られながら久野さんと二人だけでやった脚トレだ。
久野さんがあまり時間が無いとのことでいつも2時間くらい掛けていたトレーニングを40分でやることになった。
久野さんと二人なのでほぼインターバル無し。
補助もしなきゃいけないからだ。
あと重さを落とすのを林先生は許さない。
「軽くして出来ても意味ねえだろ〜」と。
ずっと死ぬ〜じぬ〜って言ってたが林先生は「死なないから大丈夫だ笑」と言ってすぐ次のセットに入らされる、、、
今の所脚トレでこれ以上キツイ記憶は無い、、、
そして初大会直前。
一番感動した事があった。
トップ選手からの感動の手ほどき
自分の大会は10月開催。奇しくも誕生日と同日。
清水さん久野さんの出場した全日本選手権(文字通り権威・実績共に日本一を決める大会)が1週間程前に終わったばかりだった。
いよいよ大会前最後のポージング教室&トレーニング。
教室が終わった後のトレーニング中、なんとお二方が自分のトレーニングはほっぽいてポージングを再度念入りに見てくれた。
全日本選手権に出る選手、出れる選手、そしてトップ12に残れる選手というのは、まさに怪物or天才。
そのトレーニング、姿勢、生活、精神はまさに狂気のレベルだ。
街中やジムで見かけるただのマッチョとは一線を画す、別の生物。
日本でボディビルをやっている者なら尊敬せざるを得ない存在なのだ。
その中で毎年上位争いを繰り広げる2人が、
どこの馬の骨とも知れない1人のガキんちょビルダーに付きっ切りで教えてくれたのだ。
大会出場よりもその事のが思い出として深く刻まれている。
お二人と林先生にお会いする機会は最近めっきり減ってしまったが、今でも可愛がってくださる尊敬する大先輩方なのである。
尊敬する先輩ビルダー達
もちろんポージング教室で一緒に練習してくださった先輩ビルダー方も今だに尊敬してやまない。
所謂“普通のおばさん”なのに凄まじい知識・気迫のタエさんなんて会うだけでやる気がでるプレワークアウトサプリだ。
先輩ビルダーの高嶋さんはいつもバリッバリに切れていていつでも絞りの目標にしている。
日本クラス別で6位を取った時の気迫の絞りは凄まじいものがあった、、、
タエさん高嶋さんにも大変大変お世話になった。
いつでもアドバイスをくれる心から尊敬する先輩方だ。
初心者にとって最初に師事する人はとても大事だと思うが、自分の場合は恵まれていたと思える。
そんな大会の方は新人部門8人中4位というなんともいえない成績で終わる。
家族や友人も一番多く見に来てくれた。
ボディビルの大会というと物珍しかったようだ。
2020年現在とは盛り上がり感が少々違うから。
フィジークも無かったし。
さて、ボディビルの大会がどうアパレルブランドに繋がるか、だ
フィットネスアパレル業界
今でもだが、情報収拾のメインにはインスタグラムを使っている。
もちろん始めは日本のボディビル事情を雑誌で吸収していったが、海外のボディビルは日本の10年先を進んでいると言われている(J-popみたいやな)。
既にYoutubeだけで生きているトレーニングYoutuberやインスタグラマー等がたくさんいた。
ボディビルの世界一はMr.Olympiaと呼ばれる。
正直その大会に出れるのは努力だけじゃ絶対に無理。
プロになるのだって才能があった上で100%の努力と生活をした上でなれるかどうか、だ。
どのスポーツにもある現実的な、圧倒的才能達との闘い。
でも競技者としては成功しなくても、自分の得意な事を伸ばして成功できる世の中だ。
その点に関しても日本より進んでいたのは間違いない。
そしてそんな人達が自分でやっているアパレル、もしくはスポンサーしている、見たこともないフィットネスアパレルブランド達。
着ている本人達も相まってめちゃくちゃかっこよく映った。
なんで日本には無いのか?なんで日本では買えないのか?
毎日インスタを徘徊し、ブランドやモデル達を探す日々。
そんな中、ふと留学のチャンスがやってきた。
いつ行くの?今でしょ!
チャンス、というと語弊があるな。
元々行きたいと思っていたので「時間もあるし今行くか」と決めたのだ。
(なんでも決断は早め)
どこに留学するかで迷ったが
・英語が喋れるようになりたいので、英語圏
・トレーニングもがっつりしたい
・できれば綺麗な教会があるとこがいい
この内教会は諦め、やはり世界最強国+聖地ゴールドジムベニスがあるロサンゼルスへの留学を決めたのであった。
そして2016年2月、6ヶ月のロサンゼルス語学留学へ向かった。
〜〜〜
ということで第三部は「初のボディビル大会出場とアメリカ留学決意」というお話でした!
次回!「IVTTの奇妙な成り立ち」第四部は「ロサンゼルスは届かない」!
凄まじいマッチョ達との遭遇の行方は!?乞うご期待。
アメリカ留学してなかったらアパレルブランド立ち上げてないからもう少し付き合ってね。
アリーヴェデルチ!(さよならだ)